Michi

私のこと

初めまして、未知です。
1991年6月21日、東京生まれ東京育ちです。
天真爛漫な母と、褒め上手な父のもとに産まれ
優しくいつも妹を可愛がってくれる兄と共に育ちました。
早速余談ですが我が家は血液型がバラバラで珍しい家族です。
母はB型、父はA型。兄はAB型の私はO型です。
幼い頃は自分だけ違う感じがして、よく兄に「未知は自販機でオレンジジュース買ったら出てきた」と言われていました。

父と私とカメラと

幼稚園生の頃。初めてのフィルムカメラは父がくれたハローキティのフィルムカメラでした。
特にキティちゃんが好きなわけでも「ピンク」が好きなわけでもない。別に「カメラが欲しい」とねだったわけでもなかった。
父は私にカメラを好きになって欲しかったらしい。

週末になると時折「未知、写真撮りに行こう」と出不精な父が私を公園に連れ出してくれました
よく紫陽花の前や木のそばで「こんなポーズして」とリクエストされていた。
私も見よう見まねで父の横でシャッターをたくさん切った。自分の撮った写真が気になってフィルムを巻く前にカバーを外してしまっていたな
今思えばたくさんフィルム真っ黒にしたなぁ。
まんまと私はカメラが好きになっていました。

カメラは全部、未知に。

18歳の冬、父は食道がんで亡くなった。
父は本当にカメラが好きで病室でもヤフオクでカメラを競り落とすのが日課になっていた
お見舞いのたびにカメラを持っていくととても嬉しそうだった
ある日父が「このカメラは未知のために買ったんだ」とRollei35をくれた。昔から憧れていたカメラだったらしい。
それから少しして父は亡くなった。

最後まで愛用していた病室に残された父のカメラを、空っぽになったベットの横で兄が私の首にかけた
その日、私は写真を仕事にしたい。そう思ったのでした。

父のような写真を撮りたい

シャッターを切る時に父は度々顔を少しずらしてこちらに笑顔を向けた。
父から教わったカメラをいつまでも覚えていたい。そんな思いで、高校を卒業してすぐにカメラマンになった。
初めはウェディングがメインだった撮影も続けていくうちに様々なシーンを撮るようになりました。

写真は撮っている人は写れないからかわいそうと言われがちだが私はそうは思わない。
被写体から撮影者がどんな表情をして撮っているのか、どんな言葉をかけているのかその全部が見えている気が私にはしている
だからいい写真が撮れるときは必ず自分も同じようにいい表情をしてたんだなと思う。

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